【9月は、世界アルツハイマー月間】
1994年9月21日、スコットランドのエジンバラで第10回国際アルツハイマー病協会国際会議が開催されました。会議の初日であるこの日を「世界アルツハイマーデー」とし、アルツハイマー病等に関する認識を高め、世界の患者と家族に援助と希望をもたらす事が目的になりました。さらに9月は「世界アルツハイマー月間」と定められ、様々な行事や取組が行われています。 ...
1994年9月21日、スコットランドのエジンバラで第10回国際アルツハイマー病協会国際会議が開催されました。会議の初日であるこの日を「世界アルツハイマーデー」とし、アルツハイマー病等に関する認識を高め、世界の患者と家族に援助と希望をもたらす事が目的になりました。さらに9月は「世界アルツハイマー月間」と定められ、様々な行事や取組が行われています。 ...
本日16:30から市役所で『第1回ウクライナからの避難民支援協力者会議』が開かれました。参加者の皆さんは、成田市長、国際交流協会、成田赤十字病院、成田日本語学校、TSC jp、ユネスコ協会婦人部、ウクライナ語通訳者、ロシア語通訳者(本日欠席)、シティープロモーション部長、文化国際課長、係長、職員の皆さんでした。議題としては①ウクライナからの避難民の受入れに係る市の取り組み状況等について②支援協力者及び支援内容の紹介③意見・情報交換第1回目ではありましたが、活発な意見交換がなされ、1時間があっという間に過ぎました。また、外国人支援でそれぞれ個々にご尽力されていた方々が一堂に会して情報交換ができたことも、大変有意義でした。会議終了後も名刺交換だけではなく、活発な意見交換が行われていて、つなぎ役の私としては、本当に嬉しかったです。今後、実際に受け入れが始まった時に、この方々が成田市のためにご尽力くださることは間違いありません。このような機会を作っていただき、また入管との連絡調整も行なっていただいている市職員の皆さんにも、感謝致します。国際人道支援をしてこその、国際都市成田です!皆さん、本当にありがとうございました。 ...
昨日、子どもプラザ成田主催のパントマイム短編集「リトルピーシーズ」の観劇に行ってきました。 本来は無言のはずのパントマイムですが、セリフあり歌ありという新しい形のパントマイムでした。 お芝居の最後に演者の方が「リトルピーシーズ」の意味をお話くださいました。 「小さなかけら」という意味がわかりました。 パントマイムは完成前のジグソーパズルのようなもの。所々かけた部分を、物言わぬパントマイムから想像してほしい。同じパントマイムでも、見ている人の想像力によって解釈が変わってくる。 すべてを与えてしまったら、答えは一つ。でもそれでは創造力が育たない。元教員の私には、とても深いお話しでした。 ...
本日は公津の杜1丁目自治会長さんをお誘いして、一緒に国際医療福祉大学医学部の防災セミナーに参加しました。10:00-10:50講義11:00-11:40 地震体験・消火訓練留学生達はアジアの国々からやってきていますが、本日参加した学生達は全員、地震というものを経験したことがないそうで、地震体験車による震度7の体験には、全員驚いていました(というか、恐怖体験でした)。私自身も震度7の体験は初めてで、最初から四つん這いになっていましたが、手足で相当踏ん張っていないと体がひっくり返ってしまいそうでした。他には消火訓練や備蓄品展示及び説明もあり、今日のセミナーは、とても充実したものでした。公津の杜自治会長さんと私で、改めて大学総務課職員、成田市危機管理課職員に対して公津の杜地区の防災訓練実現に向けて、いくつか要望をしました。大学をお借りしての、本日のような防災セミナーは、非常に有効であると感じました。実際に見学・体験をして本当に良かったです。大学を活用した地域防災への道が見えてきました。 ...
公津の杜1丁目自治会の美化運動は、毎回、東西地区に分かれて行なわれます。今日は暑い中、たくさんの方のご参加をいただきました。美化運動終了後は、防災用備蓄水の消費期限が迫っているものを一部地区に配布しました。防災訓練に向けての準備も始まります。防災倉庫は、東地域と西地域のそれぞれの公園脇にあるので、小さな防災訓練という形で東と西に分けて行ないます。 ...
2000年6月の定例会では、内山議員が以下のように述べられています。 成田市が作成する行政資料の中には、必ずと言っていいほど、「国際都市成田」という表現が出てきます。「国際空港に近接した都市として限りない可能性をもつ」とか「国際的な人、物、情報、文化の交流基地としての役割をもつ」とか「首都圏の核都市として大きな期待が寄せられている」などと言葉を連ねています(中略)。 やはり成田市の市民が、みんなで本当に国際都市、国際観光都市をつくろうと、そうなるんだという気持ちになるような仕掛けをしていかなければならない。 30年以上も前から「国際都市」のと言う冠の意味の議論が続いてきました。 しかしながら現在も、その意味をきちんと考えた行政の施策が見受けられません。 交換留学生、姉妹都市提携、交流パーティー開催などは「国際化」への一つの施策ではありますが、もう昭和の「国際都市」づくりです。 「多文化共生指針」を作成したからと言って、国際都市になるわけでもありません。 私が本当に考える「国際都市」とは 「同じ赤い血が通う地球人同士が、医療、教育、勤労の機会を等しく得られる都市」です。 この考えに沿って街づくりを考えることが、成田市の国際都市としての発展につながります。 ...
私が成田市議会検索システムを利用して、一般質問および委員会での発言に絞って検索をかけたところ、合計434件がヒットしました。 検索できる最古のものは今から33年前の1989年。それ以前については検索できないので、残念ながら本市で初めてこの言葉が登場したのがいつかは分かりませんでした。 さてその1989年度は「国際都市」という言葉の当たり年で過去最多の36回。そのいくつかを紹介させていただきます。 1989年3月定例会 長谷川市長このジャパンビレッジは、すぐれた日本の伝統、文化を内外に紹介することをメーンテーマとするものでありまして、まさに国際都市成田にふさわしいプロジェクトであります。国際都市を標榜する本市の街づくりは、おおむね順調に進んでいると考えております。 1996年 6月 定例会 小川市長 所信表明特に成田の子供たちは国際都市にふさわしく世界に目を向けた地球スケールの人材に育てたいというのが私の願いであります。 2000年 3月 定例会 市長 小川国彦議員ご提案の職員を友好都市や姉妹都市へ派遣し研修させることにつきましては、国際都市を標榜する本市にとりましては、職員の資質向上と能力開発を図る上でも、有効な方法の1つと考えますが、当面は、現在行っております短期の行政交流を充実してまいりたいと考えておりますので、ご理解いただきたいと存じます。 1999年 6月 定例会 成田市議会議員 小泉一成(現小泉市長)「国際都市として国際会議場やアメ横通りのような世界のマーケット、外国の学校誘致などの積極的施策、ビジョンを掲げるべきと考えます」「現在の成田市の施策は、港まちとして空港を生かしきれていない、国際化という視点からの政策が欠けていると思われます。したがって、国際都市とうたってはいるものの、実感に貧しい」「外国の学校、大学誘致の必要性は、成田空港があって治安がよいこと、外国の学校であれば、必ず成田及び周辺地域に居を構えること、地域の学生と国際交流事業がしやすいこと、若者がふえ成田市及び周辺地域から先進文化や活気が生まれる可能性があることなどです。成田市は空の港まちです。港まちは異国情緒があるものです。ぜひ港まちとして、外国の学校誘致を計画していただきたいと思います」 ...
昨日と今日は、議会棟で市の職員と打合せをしたり、一般質問準備で会派室にこもっていました。1日中パソコンに向かっているので、肩と背中が痛くなります。 さて今回の質問の一番目は「国際都市」の意味を、行政に問うというものです。 ①本市が考える国際都市とはどのような都市をイメージしているのか 企画政策課担当の成田市総合計画「NARITAみらいプラン」には、以下のように書かれています。『「NARITAみらいプラン」という名称には、国際都市としての本市のイメージと、次代に向けた未来志向の思いが込められています。』 総務課担当の市民憲章には、以下のように書かれています。市民運動を通じて“平和で住み良い国際都市づくり”を進めるため、『市の憲法』としての役割を果たすとともに、成田市民の精神的な支柱となっております。 文化国際課担当の成田市文化芸術推進基本計画本計画では、本年度を初年度に令和5年度を目標年度としており、「時空をつなぐ心豊かな文化・国際都市 成田」を基本理念とし、4つの柱と10の施策を定めております。 消防総務課の成田市消防団長挨拶団員の多くがサラリーマン化している現在、その任務は過酷なものとなっておりますが「郷土愛護の精神」のもと団員一丸となって「市民が平和で安心して暮らせる国際都市、成田」を目指し日夜努力しております。 さてこの、どこにでも枕詞として顔を出す「国際都市」という言葉は、本市ではいつごろから使われているのでしょうか。 つづく ...
「PARA Beats! レガシーフェスティバル」この行事のことを、もっと早くから皆さんにお知らせすれば良かった・・・共生社会ウィークの3日目の今日は、中台運動公園体育館で、パラスポーツ体験、「PARA Beats!」作曲者の林田ひろゆきさんを招いての迫力の音楽ステージ、日本パラリンピック委員会河合委員長を招いてのパネルディスカッション、そして福祉施設による食品出店などで構成されたイベントが行なわれました。ロビーには国際パラリンピック委員会公認教材で学習をした向台小学校6年生の研究発表が掲示され、「共生社会」への学習が深まったことがよくわかりました。東京2020パラ水泳金メダリストの木村敬一選手のビデオメッセージで始まった本日の行事でしたが、私は、林田ひろゆき和太鼓バンドと公津の杜&成田中合同演奏に感動してしまい、思わず1人でスタンディングオベーションをしてしまいました。あの和太鼓第一人者で、世界でも有名な林田ひろゆきバンドとの「PARA Beats!」演奏は、体育館の床が震える迫力で、本当に感動いたしました。林田さんの両脇でパーカッションを担当した中学生男女は、演奏途中、笑顔の林田さんに笑顔で話しかけられていました。今回も2つの中学校の合同練習は1度だけ。成田中がバスで移動して行なったそうですが、彼らにとっては一生忘れられない演奏になったと思います。もっと早くから皆さんにこのイベントをご紹介すべきでした。それくらいに色々学べ、体験できる素晴らしい行事でした。 ...
本日12:10から市役所6Fで、ジャズオーケストラコンサートが行われました。共生社会応援プロジェクト「PARA Beats! 共生社会を奏でよう」活動の一環です。演奏してくださったのは”HIGH NOTES”というバンドで、富里高校卒業生が中心となり、成田市を中心に活動しています。そのバンドの指導者は、習志野高校吹奏楽部出身のトランペット奏者、篠原さんです。ドラム担当が急な欠席で演奏楽器が変わってしまうという状況の中ではありましたが、仲間の演奏を笑顔や手拍子で応援しながら、心温まるセッションを披露してくれました。会場には習志野高校の先輩として鳥海議員も駆けつけ、篠原さん率いるバンドの演奏を見守っていました。 ...